小説『1R1分34秒』を読んだ。
ノックアウトされた。
なんて言い方はキザだろうか。
町屋良平氏の小説『1R1分34秒』はボクシングを題材に取った小説である。だが、いわゆるスポ根ものとは異なる。
俺も長らく勝手にレッテルを貼り付けて「ちょっと熱血ものは手が伸びにくいなあ」と敬遠していたのだが、読んでみて驚いた。
掘り下げられる内省の深さ。ひしひしと伝わる哀しみと怒り。
そうか。ボクシングは、自分自信の身体とより強く結びついた孤独な精神の闘いなのか。それは小説家の仕事と似ているのかもしれない。
比喩。精神と身体。
友達として登場する人物は徹頭徹尾「友達」という呼び名だし、固有名詞の出てくる人物は極めて少なく、出てきても漱石の『坊っちゃん』
風のアダ名だったり、なんとなく意図された不透明さ・不穏さがあるようで、俺は最初から最後までずっと『ファイトクラブ』的な設定を疑っていたが、気持ちよく裏切られた。
この物語は逃げも隠れもしない、というよりは、逃げも隠れもできない人の不器用な一本道を手探りで丁寧にゆっくりと進む。
キーワード。
彼の精神の孤独、飢餓。
長いこと孤独に浸りすぎると、心は他人への期待を抑圧する。ひとりぼっちが寂しくないわけではない。寂しい。底抜けに寂しいときだってある。だが期待を裏切られて落ち込む絶望の痛みに比べれば、相変わらずの平行線の寂しさはまだマシだ。なにも孤独が好きなわけではない。孤独のほうが好きというだけで。
それから、ストイックさ。ある種の頑固さ。
性欲・食欲・睡眠欲に股をかける試合前後の禁欲と解放。自縄自縛。
無駄を削ぎ落とすことと強さの関係。傍目には狂気じみて見える減量の過酷。しかし払ったものに見合わない報酬。それでも一度飛び込んだ以上はやっていくしかない、人生の取り返しのつかなさ故に。選び続けなければならないということ。最終的な敗北は目に見えていたとしても。そして正攻法の限界。美学と現実問題の壁。イノセントの危機。解決法。勝ち方ではなく、勝つことに一途な無垢であること。迷いの肯定。
闘うべき相手と敵ではなく友達として試合までの時間を過ごしてしまうファイター向きの性格とは縁遠そうな繊細。男性性よりも女性性に親しむ心と鍛えられた肉体。自己評価の沈みと、それによってポコポコ浮いてくる激しい感情。情緒の不安定。才能への憧れや嫉妬。鍛えられない内臓部分の先天的な弱さ。
俺は身も心も非マッチョだが、しかし肉体の強さを除けば、なんとこの物語の主人公は俺であることか。驚いた。書かれていることがすべて理解できる「気がする」。太宰と同じだ。優れた一人称小説の特徴。
ぐいぐい引き込まれる。読み始めたらもう止まらず一気呵成だった。河原で日が暮れるまで読んだ。
ずっと近くにいた猫さん。
増える。
もう虜だ。
この小説がとても好きだし、彼の書き方は平易さと詩的さが同居していて、ものすごく好みのタイプの文体だった。
あまりにも語り方が好みとドンピシャすぎる。あと単純にものすごく上手い。
となれば気になる。そりゃ気になる。
町屋良平ってどんな人ですのん?
気になって、知りたくて、「作家の読書道」に載っていた彼のインタビューを読んでみた。
案の定、というとちょっとどころかかなり鼻につくが、やはり彼とは好みが合うらしい。
若いときはあまり読書に熱中していたわけではないこと、『今すごく好きだと思う日本の近代小説の人というと夏目漱石なんです』、ブコウスキーを読んでいるところ、フアン・ルルフォが好きなところ、なにより、ウルフの『灯台へ』に衝撃を受けているところなんかは、もう激しくミートゥー。
そりゃ好みにピンズドなわけだ。納得。そして今後は目を離せなくなるだろうと確信する。応援します。
しかしAmazonなんかのレビューを読むと、低評価がずいぶんと多い。
なぜ?思い当たる節がない。
半信半疑で目を通してみる。なるほど。これはこれは。如何にも、うんざりさせられるものばかりだった。開いた口が塞がらないとはまさに。
大抵は、それはレビューする人間が小説を読めていないだけの問題であって、そもそも内容について評価するための土台にすら立てていない。
にも関わらず、読むに耐えない薄汚いレビューをあくせく書いてまで低評価を喧伝しようとするその厚顔無恥、ヘドが出るような人格の醜悪さは、いったいなぜ生まれてしまうのか?
こんなにも優しく真面目に作られた小説がなぜ貶められなければならない?なぜ自分が読めていると自信が持てる?あるいは読めていないことの片棒を自分が担いでいるかもしれないと想像することができない?
謎だ。想像力のもたらすアンフェアにはいつも戸惑ってしまうし、苛立たせられる。
想像力を放棄している人間のことを、想像力がある人間は一方的に慮らなければならないのか?
悪意剥き出しの拳に打ちのめされて、そして立ち上がり続ける苦労を一身に負って?
もし読み手がすこしでも想像力を持っているならば、素直にこの小説と向き合えるだろう。
そしてエールを受け取り、胸に秘めるはずだ。負けるものかと。負けてなるものかと。
立て。闘え。
負けるな。
ぜひとも神経の鈍ったくだらない戯言に惑わされずに、この小説を開いてみることを強くオススメしたい。
芥川賞も納得の作品だ。本当にすごかったです。
いい読書をさせてもらいました。