映画『希望の灯り』を観た。
素晴らしかった。200000000点。
トーマス・ステューバー氏は1981年生まれの若き映画監督である。
前情報なしでTSUTAYAの新作コーナーからジャケ借りしてきたため、あまり期待もせずに映画を見始め、扱う題材や人物の撮り方、画面の構図の絵画みたいな美しさから勝手に老齢の技を描き上げた作家像を描いていたのだが、見終わって作品を調べたとき、自分と10個ほどしか変わらない人がこの映画を監督していると知りひじょーーーに驚いた。
ここ数年の若い映画監督が創る作品が好きだ。最速最高青春映画『レディ・バード』のグレタ・ガーウィグ、個人的オールタイムベストの一本『わたしはロランス』を撮ったグザヴィエ・ドラン、そして『希望の灯り』トーマス・ステューバー。
主演の人も超良かった。フランツ・ロゴフスキというドイツの俳優らしい。
優しさと狂気、穏やかななかにも手を伸ばせば噛みつかれそうな危うさを孕んだ主人公の性格を完璧に演じきっている。顔に力がある。いかにも演技派といった顔。とてもいい顔。
(フランツ・ロゴフスキと共演のサンドラ・フラー。ふたりとも色気むんむんで演技も良くて本当に素敵な俳優。)
静かで、美しく、陳腐だがまさしく絵画のような映画だった。
物語のほとんどがスーパーマーケットのなかで進行する。
とはいっても客とコミュニケーションを取る場面はほとんどなくて、店の在庫の管理が主人公クリスチャンやそのほか登場人物たちの仕事である。勤務時間帯は夜間。客のはけた通路の冷たさが印象的だった。脇にうずたかく積まれたアルコール飲料がなくなることはなく。従業員の年齢層が高めで、画面に哀愁が漂う。フォークリフトを使うシーンが頻繁にあるのだが、監督含めて、メインの登場人物を演じた人は全員が免許を取得しているらしい。実際にスーパーで2週間勤務したとのだもいう。こういったコツコツ組み上げられた土台が作品に説得力を与えているのだろう。たしかにそこにいるだろう人物、語弊を恐れずに言えばそこにしかいそうにない人物だけによって描かれる世界。必然性の雄弁がある。キャスト全員がお見事。
映画には原作の小説があるみたいだが、まず、倉庫的な場所を舞台にしている作品という時点でちょっと個人的にはツボというか、まさしく「まるでまた職場へ戻ってくるためだけに帰宅している」ような閉塞感を抱えた人たち、その箱のなかで自分たちなりの楽しみや抜け道を見つけて紛れぬ気をどうにかこうにか紛らそうとする人たち、底抜けに孤独な人たちの物語を、過不足のないユーモアや、ちっとも退屈なところがない尖った語り口で鋭く描き出す演出で彩るこの作品は、とにかく優しさに満ちている。
だからといって、単にハートウォーミングな物語というわけではない。
日本版のとあるポスターには「慎ましく幸せな物語」という文句が書かれていた。これについては前々から不満を感じているのだが、どうもこの国に入ってくると宣伝文句がどれもこれもちょっと柔らかくなるというか、とっつきやすさばかりを重んじる風潮があるというか、身もふたもないことを言ってしまえば口当たりが良すぎるというか、そういう要素があちこちで見受けられる。『希望の灯り』については御多分に洩れずなのか知らないが、俺の見た限り、この作品にある灯りは、あくまでも、ものすごく寂しい心を抱えて生きる人たちの振り絞った明るさが頼りなく燃えて照らすものと感じるもので、全編にわたって覆う空気はむしろ息苦しく、最後の最後でようやく希望の一片が見える程度のものだった。それだって流れを汲んで見れば取って付けた感があるし、どことなく不穏なままで終わる。突き抜けることはなく、カタルシスは薄い。ブルースの音色がある。
幸せな物語、と断言してしまえるものか、おおいに疑問が残る。
だがしかしそのパッケージを手にとって観る気になったのだから、自分の首を絞めるようであまり強いことは言えないが。
(C)2018 Sommerhaus Filmproduktion GmbH
作品は最初から最後までおとぎ話の起承転結はなく、展開はあくまで現実的だった。つまり変化に富んではいない。
わずかに立った波紋といまにも消えそうな波紋が重なる瞬間を切実に描いて、人間の脆さや逞しさを同時に浮かび上がらせる。無感動の人生の感動。身を切るような友情と愛情。孤独のなかにあってそれらは強く燃える。なんて苦しい希望だろう。
物資に恵まれた冬の寒さ。
深夜から朝にかけての時間に鑑賞し、朝焼けのなかで余韻をコーヒーでちまちま流しこみながら、あらゆる感情をひとりきりでそっと噛みしめたくなる映画。
傑作でした。
小説『1R1分34秒』を読んだ。
ノックアウトされた。
なんて言い方はキザだろうか。
町屋良平氏の小説『1R1分34秒』はボクシングを題材に取った小説である。だが、いわゆるスポ根ものとは異なる。
俺も長らく勝手にレッテルを貼り付けて「ちょっと熱血ものは手が伸びにくいなあ」と敬遠していたのだが、読んでみて驚いた。
掘り下げられる内省の深さ。ひしひしと伝わる哀しみと怒り。
そうか。ボクシングは、自分自信の身体とより強く結びついた孤独な精神の闘いなのか。それは小説家の仕事と似ているのかもしれない。
比喩。精神と身体。
友達として登場する人物は徹頭徹尾「友達」という呼び名だし、固有名詞の出てくる人物は極めて少なく、出てきても漱石の『坊っちゃん』
風のアダ名だったり、なんとなく意図された不透明さ・不穏さがあるようで、俺は最初から最後までずっと『ファイトクラブ』的な設定を疑っていたが、気持ちよく裏切られた。
この物語は逃げも隠れもしない、というよりは、逃げも隠れもできない人の不器用な一本道を手探りで丁寧にゆっくりと進む。
キーワード。
彼の精神の孤独、飢餓。
長いこと孤独に浸りすぎると、心は他人への期待を抑圧する。ひとりぼっちが寂しくないわけではない。寂しい。底抜けに寂しいときだってある。だが期待を裏切られて落ち込む絶望の痛みに比べれば、相変わらずの平行線の寂しさはまだマシだ。なにも孤独が好きなわけではない。孤独のほうが好きというだけで。
それから、ストイックさ。ある種の頑固さ。
性欲・食欲・睡眠欲に股をかける試合前後の禁欲と解放。自縄自縛。
無駄を削ぎ落とすことと強さの関係。傍目には狂気じみて見える減量の過酷。しかし払ったものに見合わない報酬。それでも一度飛び込んだ以上はやっていくしかない、人生の取り返しのつかなさ故に。選び続けなければならないということ。最終的な敗北は目に見えていたとしても。そして正攻法の限界。美学と現実問題の壁。イノセントの危機。解決法。勝ち方ではなく、勝つことに一途な無垢であること。迷いの肯定。
闘うべき相手と敵ではなく友達として試合までの時間を過ごしてしまうファイター向きの性格とは縁遠そうな繊細。男性性よりも女性性に親しむ心と鍛えられた肉体。自己評価の沈みと、それによってポコポコ浮いてくる激しい感情。情緒の不安定。才能への憧れや嫉妬。鍛えられない内臓部分の先天的な弱さ。
俺は身も心も非マッチョだが、しかし肉体の強さを除けば、なんとこの物語の主人公は俺であることか。驚いた。書かれていることがすべて理解できる「気がする」。太宰と同じだ。優れた一人称小説の特徴。
ぐいぐい引き込まれる。読み始めたらもう止まらず一気呵成だった。河原で日が暮れるまで読んだ。
ずっと近くにいた猫さん。
増える。
もう虜だ。
この小説がとても好きだし、彼の書き方は平易さと詩的さが同居していて、ものすごく好みのタイプの文体だった。
あまりにも語り方が好みとドンピシャすぎる。あと単純にものすごく上手い。
となれば気になる。そりゃ気になる。
町屋良平ってどんな人ですのん?
気になって、知りたくて、「作家の読書道」に載っていた彼のインタビューを読んでみた。
案の定、というとちょっとどころかかなり鼻につくが、やはり彼とは好みが合うらしい。
若いときはあまり読書に熱中していたわけではないこと、『今すごく好きだと思う日本の近代小説の人というと夏目漱石なんです』、ブコウスキーを読んでいるところ、フアン・ルルフォが好きなところ、なにより、ウルフの『灯台へ』に衝撃を受けているところなんかは、もう激しくミートゥー。
そりゃ好みにピンズドなわけだ。納得。そして今後は目を離せなくなるだろうと確信する。応援します。
しかしAmazonなんかのレビューを読むと、低評価がずいぶんと多い。
なぜ?思い当たる節がない。
半信半疑で目を通してみる。なるほど。これはこれは。如何にも、うんざりさせられるものばかりだった。開いた口が塞がらないとはまさに。
大抵は、それはレビューする人間が小説を読めていないだけの問題であって、そもそも内容について評価するための土台にすら立てていない。
にも関わらず、読むに耐えない薄汚いレビューをあくせく書いてまで低評価を喧伝しようとするその厚顔無恥、ヘドが出るような人格の醜悪さは、いったいなぜ生まれてしまうのか?
こんなにも優しく真面目に作られた小説がなぜ貶められなければならない?なぜ自分が読めていると自信が持てる?あるいは読めていないことの片棒を自分が担いでいるかもしれないと想像することができない?
謎だ。想像力のもたらすアンフェアにはいつも戸惑ってしまうし、苛立たせられる。
想像力を放棄している人間のことを、想像力がある人間は一方的に慮らなければならないのか?
悪意剥き出しの拳に打ちのめされて、そして立ち上がり続ける苦労を一身に負って?
もし読み手がすこしでも想像力を持っているならば、素直にこの小説と向き合えるだろう。
そしてエールを受け取り、胸に秘めるはずだ。負けるものかと。負けてなるものかと。
立て。闘え。
負けるな。
ぜひとも神経の鈍ったくだらない戯言に惑わされずに、この小説を開いてみることを強くオススメしたい。
芥川賞も納得の作品だ。本当にすごかったです。
いい読書をさせてもらいました。
おもいがけずある日唐突に靴屋で勃発した仁義なき「身の丈に合った」戦いと、映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を観たことの記録と感想。
み‐の‐たけ【身の丈/身の▽長】
1 せいの高さ。身長。背丈。また、自分の身長。「―二メートル余の大男」「―ほどに積もった雪」
2 (多く「身の丈に合った」の形で)無理をせず、力相応に対処すること。分相応。「―に合った経営」「―に合わせた生活を送る」「―を超える過大な投資」「―外交」
身の丈に合わせる。最高にステキな言葉だ。本当に。
しかし身の丈は努力で決まるものではない。
これはほとんど先天的な要素に支配されている。
もし人生が、ことの始まりからすべて自我を持ってあらゆる選択肢を自ら取ったり捨てたりできるのだとしたら、そこにはすくなからず自己責任が生じるかもしれないが。
仮の話をしよう。
仮に、もし俺の足の大きさが28.5だったとして、イケてるスニーカーのサイズが25だったとする。こういうことはままある。めずらしいことじゃない。でも俺はこの足のサイズと付き合っていかなきゃならないのと同様には、合う靴のサイズが手に入らないことの責任を取るつもりはない。他の店の在庫に俺の足にあったサイズがあるか確認してもらうなり、新たに発注してもらうなりして、遠慮なく手に入れさせてもらうだろう。
それは、現実に可能なことなのだ。もちろん。
「あのお、もしもしすみませんが。」
「はいっ、らっしゃっせ〜。」
「この靴なんですけど、あのお、これってお店のなかにあるものすべて棚に出てるかぎりですか?いや、その、28近辺のサイズのこの靴があったら欲しいかなーなんて思っているんですけれども、ええ。」
「しょうしょうお待ちくあっ!さ〜い!お調べして参りやあす!」
数分後。
「お待たせっしゃっしゃっしゃ〜!」
「はい。すみませんね。お手数おかけしてほんとに。」
「こちらの商品ですけど、近隣の店舗に在庫を問い合わせてみたところ一足だけ準備できる商品がございましたので、確保しておきましょうか?当店でお受け取りいただくこともできますし、お客様ご自身で〇〇店へ足を運んでいただいても結構でございます。」
「マジサンキューなり最高店員くんブチあげテンション〜。」
ざっとこんなもんですよ。
まことに遺憾ながら、それができないのであれば、御社の努力不足、あるいは頭でっかちのカチコチ便秘脳のクソ役立たずという認識になってしかるべきでしょう。
「すいませーん。靴を探してるんですが、これの28のサイズってありますか?」
「あるわけねえだろダボ!見てわからねえのか!?ああん!?失礼ですがお客様の目は節穴ですかあ!?ないったらねえんだよ!贅沢言わずにそのへんに転がってるお客様の足のサイズにピッタリ合いそうなものをお履きになってはいかがですか〜!?」
でもね。民間の企業だったらこんなお粗末、絶対に許されませんよ。
やれやれ。
無職にこんなこと言わせやがって。
……こっちだってねえ!!!この口でこんなこと言うの、恥ずかしいんですからね!!!
でもまあたしかに、言葉を使うのはむずかしくて、とりわけ話し言葉となると、受け答えをするのにろくに考える時間もなかったりするものだから、へんてこな言い回しになったりやや雑な表現になったりすることもままあるだろう。
わかる。とてもよくわかる。
しかし「身の丈に合わせた戦い方」などといった言葉には、さすがに愛嬌のかけらもない。
たとえ間違えだとしても、間違え方は、間違えなかったパターンにすくなからず依拠するものである。まるきり思ってもいないことはなかなか口に出てこない。なんらかの理由で出てきてしまったとしても、それでも、使う人によってはあまりに酷すぎる言葉だ。
というわけで、だれとは言わないが、私観に基づいて某氏を納豆のなかにぶち込んで50000回混ぜられるの刑に処す。ネバネバの中で音をあげさせてやる。ネバーギブアップなんて言葉も、ネバにトラウマを覚えて二度と使えなくなるかもしれませんぞ〜。
うわははは!
怯えろ怯えろ!赦しを請い、泣きわめく姿を見せてくれえええ!
身の程知らずで失礼。
閑話休題。
ダニー・ストロング監督、ニコラス・ホルト主演の映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を観た。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で有名な謎の作家 サリンジャーの半生を追ったドラマ。
とてもいい映画でした。
ケヴィン・スパイシーが脇を固めるだけで映画に安定感が生まれますよねー。
セクハラ問題はとても残念でしたが、役者としての存在感はやはり申し分ない。
(机に足乗せてサマになる男はケビン・スパイシーと竹原慎二がツートップでいいな?)
書いて、書いて、書きまくる。
創作論にはさまざまなものがあってなにが正しいのか、あるいは誤っているのかわからないけれど、とにかく自分の全身全霊全力をもって目の前のものにぶつけてみるやり方って、非常にアツい。
彼は裕福な家庭の出自らしい。
前述のお話の文脈で言えば、彼の「身の丈」はなかなかのものである。
しかし彼の父は精肉業界で財を成した人で、実利的な考えを持つ。創作などうまくいかないと頭から決めている。
そういう意味では、彼の「身の丈」の成長は父の無理解によって阻まれていた。この類の意地悪な言葉は罪である。しばしば大人の知ったかぶりによって、若者は開かれた未来を閉じられる。
大人を逃れられない年頃になりつつあるいま、俺自身考えなくてはならないことだ。若者に不可能はない。あったところで、俺にその不可能を定義する資格はないということ。
一方で、彼には背中を押してくれる重要な導き手がいる。母と、スペイシー演じるウィット・バーネットである。
実質、作家サリンジャーとしての父はウィットだろう。野心的な人というのはしばしば、血の繋がらない父や母がいるものだろうか。
ナルトにはイルカ先生がいたし、ルフィにはシャンクスがいた。
ぜんぜん文学的じゃない比喩。お里が知れますな。
ところで海外の映画やドラマに出てくる大学の授業や教授ってみんなユーモアのセンス抜群で最高なのだけれど、実際もあんな感じなのだろうか?
あれだったらさぞかし授業も楽しいだろうなあ。あと10年早く知っていれば、俺もアイビーリーグに進み、ごりごり勉強に精を出してたかも。そんで創作を学んで、一躍文壇の寵児になって、ノーベル文学賞かっさらって、薔薇色のアメリカン・ドリーム!ゲット・マニー!フゥゥウウウ!
そんな欲望ダダ漏れの悪魔的たらればの用法を恥ずかしげもなく想う27ちゃい。
10年といえば、彼が亡くなったのはつい10年ほど前のことらしいのだが、アメリカ古典文学の巨匠というイメージを勝手に抱いていた俺はとても驚いた。
生ける伝説、みたいな存在だったんですね。
小説における物語の重要性を説くシーンが何度もありましたが、師や編集者から説かれるサリンジャーの人生そのものがそのまま物語として現に映画化までして成立しているのは皮肉っぽくて好き。
(クレア役のルーシー・ボイントン。この耳周りの感じ、最高すぎる……。目が幸せすぎて、眼球が猛烈に引っ込み脳みそぶち破って頭蓋骨とくっつきそう。)
後年、彼は出版を拒絶するが、引き続き、書いて、書いて、書きまくる。書くことによって、自分を発見していく。それは単なる金儲けの道具じゃない。彼はむしろ、彼自身の描いた人物 ホールデンの存在によって苦しめられたりもする。金でも名声でもない。ただひたすらに書く。
俺が富にも名声にもならない駄文を書き殴らずにいられないのも、結局、自分の頭のなかにある感情が整理できずに、果てしなく曖昧なままでいるのが許せないからだ。
というわけで似てる。クリソツ。超我田引水。
つまり俺は時期サリンジャー候補というわけ。
え?
それにしてもPTSDが描かれた物語は総じて苦しい。
戦争は本当に怖い。感情を移入しすぎるといつもひどく落ちこむ。
生命が脅かされない場所にいて好き勝手言ってる自分に恥ずかしさや、場合によっては罪悪感を覚えることもある。
この「感じやすさ」と言われるものを笑い飛ばしてしまえる人間も怖い。そしてそういう人は割に多くいる。
そういうとき、俺はなにも言えず腹のなかで不平をぼやくだけ。
「ポジティブもおおいに結構だけど、もうすこし真剣にものを考えてみたらどうかな?」
ダサいのはわかってる。
でもダサいのは俺が、あるいは君が、他の人間よりも劣っているからなのだろうか?
そんなことを考えてしまう人は、共感しまくること間違いないだろう。
サリンジャーの人生から得られるものは、この映画から得られるものは、決して少なくない。
とても大事なことを教わった気がする。ずっと誠実でい続けられるのだ、人間は。
すくなくとも観て損はない。
C)2016 REBEL MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
人としての欠陥を抱えて日常生活がままならない人間は、むしろ「身の丈に合った」生き方として、芸術家を志してみてもいいかもしれない。
心が決まれば、あとはやり続けるだけだ。これがきっととても難しいのだろうけど。
それでも、やれないことはないはずだよな?
イエスと言ってよ、J。
aikoの詞についての過激な賞賛と身勝手な解釈。【後篇】
引き続き、aikoの曲、そのなかでも詞に重きを置いて好き勝手に解釈して褒めに褒める記事を書きます。
興奮のあまりタイプする指が止まりません……!好きなことを好きなように好きなだけまくしたてるオタクイズム、今回も全開でいきたいと思います!
※以下に掲載する詞はすべて、aikoの楽曲から引用したフレーズ。タイトルのあいうえお順に上から下へ。俺のiPhoneのメモに写してあったものをそっくりそのままコピペしたものです。
太字=引用したフレーズ。()内=曲のタイトル。☆以降=俺の勝手な感想。
いざ、後篇。
逆さにした少し気の抜けたサイダー 知らない顔知らない服
〰〰〰
崩れる音聞いてあなたがやって来てくれるのなら
大きな音立てて心を一度無しにしてもいい
(サイダー)
☆〈心を一度無しにしてもいい、という表現すごすぎ。心を/無しにする/一度。心ってなしにできんの?できたとして、二度目ってあるの?『崩れる音聞いてあなたがやって来てくれるなら』というニュアンスに隠された同情や憐れみにすら縋ろうとする本音と、どうにしたって終わりを迎えるしかない、手の施しようがない関係を冷静に俯瞰する眼。逆さにしたサイダーの気が抜けているのも無力感。『知らない顔知らない服』。なるほどなあ。こんなふうに言葉を組み合わせることができたらなあと思う。強炭酸の目が醒めるような天才。〉
空の色に負けぬようにとあなたが描く夢が好きだった
ため息は音になり耳に心に刺さる 今でも昨日のことのよう
瞳は雨
上がれば笑顔に会える知らせ
風が袖を抜けあたしを明日へ導く
(4月の雨)
☆〈空の色に負けぬようにと描く夢、という詩。天才。タイトルの4月と相まって『瞳は雨』という表現が季節感を演出する。梅雨から夏へ向かうイメージはポジティブ。感情の鬱屈から、晴れ。上がるという言葉は、雨の終わりとうつむいた瞳が上を向くイメージ。ため息や風という自然な矢印の表現はここにも。立ち止まったり膝が折れてしまったりしても、七転び八起きで進むaikoの強さ。〉
見つめ合い出逢ったあの日
一緒に帰った黄色の道 時を止めたかった
夏が終わってしまう合図が…
涼しい風と共に全部連れて行った
あなたの前では擦り切れた靴のかかと気にしてばかりで
いつの間にか素直になるのを忘れてしまった
切りすぎた前髪右手で押さえて少し背を向けた
嫌われたくないから
うつむくあたしをからかったあなた
今はそれもあたしの夢の中だけ
(シャッター)
☆〈『一緒に帰った黄色の道』『時を止めたかった』黄色と止まるで信号の赤を連想する→夏が終わる。夏=熱→『涼しい風と共に全部連れて行った』。『擦り切れた靴のかかと気にしてばかりでいつの間にか素直になるのを忘れ』たり、『切りすぎた前髪右手で押さえて少し背を向けた』り、細やかな描写にリアルが宿ることを教えてくれる天才。この曲を一曲目に持ってきたアルバム『彼女』を最初に購入し聴いたことは、aikoに浸かっていくうえでとてもいい入門だった気がする。わかりやすく素晴らしい曲だったし、16才から現在まで聴き続けていくうちにどんどん素晴らしくなるスルメ曲でもある。本当に味がなくならなくて、ビックリしてます。〉
黄色い月に真っ赤な星が寄り添う様に
いつ何時もあたしあなたの力になりたい
心なしか元気ない時は匂いで解る
鼻の効く利口な犬にもなってあげる
(白い服黒い服)
☆〈星は星でも、赤い星、というのはaikoの歌詞に頻出するキーワード。月と並ぶ文脈的には赤い恒星、太陽が想像できるし、赤色矮星も想像できる。もったいぶった感じではない曖昧さ・抽象性は詞の解釈に幅が出て受け手も純粋に楽しい。そして、いよいよaikoは人智を超えて犬になる。とにかくaikoは五感が効く。ものすごく遠くのものを見つける眼もあれば、耳の感度はもちろん、やたらと匂いにも敏感である。これを天才の資質と言わずして、なんと言うべきか。ウタウイヌは歩けども棒に当たらずどこまでも進む。息の長い天才。〉
日曜日も☆のリングも22日も青い空も
長袖も家の鍵も笑った目も夢のダンスも
(深海冷蔵庫)
☆〈一気呵成の歌詞。一枚絵に描かれたピカソのような複雑さ。身の回りのものをコルクボードに貼りつけてコラージュにしたら芸術になった、みたいな。それぞれの名詞の完全な意味合いはaiko自身にしかわからない以上、こちらは嬉々としてパズルのように組み立てていける。想像力を遊ばせられる。ありがとうaiko。ピカソのような、という比喩を用いた以上、こう言う他ないだろう。天才、と。〉
泣き叫んでみたり初めてにぶつかったり
君の指に巻き付く糸の色になっていたい
逢いたいじゃ足りない あたしといつもの時を刻む針の音に
この心臓重ねて
愛なんて知らない君の本当もわからない
あたしがいつも付けてるキーホルダーは君じゃない
笑った顔が見たい あたしといつもの道の角を曲がって
二つ目の赤で手を繋いで
(信号)
☆〈この記事を書いている今日日現在、近ごろのaikoは糸になって巻かれたり、かとおもえば糸を巻いてあげたり、糸を使った表現がお気に召しているように感じる。『いつもの時を刻む針の音にこの心臓重ねて』などは、陳腐になりがちな表現を見せ方で絶妙に回避していて、その手腕に惚れ惚れ。『君の指に巻きつく糸の』、『色』になっていたいというのが粋。糸はその性質上、どうしても絡みついたり引っ張ったりするイメージがつきまとうため、執着心を匂わせやすい。しかしそれも『あたしがいつも付けてるキーホルダーは君じゃない』という表現によって盲目的な恋愛物語を脱する。これぞaikoサン。キーホルダーという言葉に含まれる絶妙な日常への接触感と、なければ寂しくても必要なものではないし、場合によってはかさんで邪魔になるし、それでもやっぱり可愛いし……みたいな悲喜こもごもの複雑な想い。「あたしに付いて回るキーホルダーが別の誰かではなくて君だったならば、心が手に取るようにわかるだろうに。」とか「君は大量にぶら下がって揺れているあたしのお気に入りのキーホルダーのなかのひとつですらありませんよ。」みたいな、まったく異なるニュアンスで解釈できる。『逢いたいじゃ足りない』。これも「君の口にする逢いたいという言葉だけでは私の心が満足しない」のか「あたしの気持ちを表すのに逢いたいという表現だけでは足りない」のかなど、ダブルミーニングである。事程左様にaikoの言葉は右にも左にも揺れる。糸・キーホルダーという親和性の高いふたつの言葉をさりげなく歌詞のなかに落としこむのも流石。『あたしといつもの道の角を曲がって二つ目の赤で手を繋いで』は表現の巧みさと相まって、大人の秘密の恋愛の観。二つ目の赤でカメラを手に追いかける我々を置いてけぼりにしてフェードアウトしていくのも映画のようで洒落ている。天才。〉
あなたの丸い爪に射して跳ね返すオレンジの色
(17の月)
☆〈この動詞と形容詞と倒置の活用の巧さ。多くは語るまい。天才。〉
お皿に残る白い夢を 君の口にいれてごちそうさま
(ストロー)
☆〈これも前述の『信号』に続いてわりと新しめの曲だが、aikoが段々と、いままでは詞のなかに隠していた強さ、怖さを積極体に前面に出してきている印象。詞は詩をさらに濃くしている。切れ味鋭いスラップスティックな表現が天才的にかっこいい。〉
切れた電球は耳元で振れば
小さな音でさようなら
(冷たい噓)
☆〈詩。天才詩人。電球は声ではなく、音で『さようなら』を言う。切れた電球を用いて終わりを比喩するばかりでなく、耳元で振ってみるあたりがaiko節。もう最高。トータルでとても好きな曲。曲もカッコいい。〉
適当で変な事言って連れ出してよ
理由は後でいい
夜にあの子のハンドル抜いて引っ掻いたら
間から甘い想い
〰〰〰
一時停止で点滅したあの車と
どっちが先か
道路塞いで勘違いするほど話したら まさか子供になった
(ドライブモード)
☆〈『理由は後でいい』。ここ数年のaikoの書く詞がとても好き。基本的には詞先のaikoが曲先で書いた曲、とのこと。『夜にあの子のハンドル抜いて引っ掻いたら間から甘い想い』。二億点。夜の暗闇のあちこちからカラフルな音符が隙間を縫って飛び出してくる。『点滅したあの車』。ライトやウィンカーが点滅するならまだしも、意味はおなじでも、言葉のうえで車が点滅するとなればたちまちに魔法を帯びる。『道路塞いで勘違いするほど話し』たり、子どもじみた発想の果てに、実際に子どもになっちゃうくだりとか稲垣足穂みたいで超クール。どうしたらこんな発想が生まれるの?もちろん天才。ピアノが歌詞の裏で踊ってるのも最高。大好きな曲。〉
嘆きのキスに気付いてただろう
知っていても認めたくない優しい目の奥
(嘆きのキス)
☆〈まず、『嘆きのキス』という言葉は凡人には出ません。俺ならまず逆立ちしたまま世界を100周したって見つからないだろうなあ。言葉も唇も冷たい。わかってるけど、わかっていながらも、可能性を捨てきれずに目の奥を窺う。唯一あたたかみのある優しさの曖昧さがここでも一筋縄ではいかせない。「言うても本心の底の底は別のところにあるんでしょ?あるに決まってるよね。」と、最後の最後まで期待してしまう脆さも詩にすれば芸術。こういうところがaikoは強い。天才。〉
君がスニーカー履くと必ず雨が降るね
(ハナガサイタ)
☆〈曲頭の歌詞。最高に面白い小説の出だし感。引きがある。ここから始まる物語、絶対先が気になるもの。俺が編集者ならまず出版させる。天才作家現わる!と銘打ってね。〉
三角の目をした羽ある天使が恋の知らせを聞いて
右腕に止まって目くばせをして
「疲れてるんならやめれば?」
〰〰〰
夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして
涙を落として火を消した
そろったつま先くずれた砂山 かじったリンゴの跡に
残るものは思い出のかけら
少しつめたい風が足もとを通る頃は
笑い声たくさんあげたい
三角の耳した羽ある天使は恋のため息聞いて
目を丸くしたあたしを指さし
「一度や二度は転んでみれば」
〰〰〰
赤や緑の菊の花びら 指さして思う事は
ただ1つだけ そう1つだけど
「疲れてるんならやめれば…」
花火は消えない 涙も枯れない
(花火)
☆〈およそ20年前、デビュー後三作目にしてこれを書いちゃうaiko。彼女の天使はイジワルである。しかしイジワルというか、トリックスター的な存在は物語の進行においてしばしば重要な役割を担う。三角の目をした天使と三角の耳した天使。「疲れてるんならやめれば?」という天使と、かたや「一度や二度は転んでみれば」という天使。文脈が曖昧なので断定はむずかしいが、そのふたつのベクトルは反対に働くように思える。トリックスターならば姿を変えるのもたやすかろう。ジキルとハイド的なものと言ってもいい。そもそもが、これはすべて『眠りにつくかつかないかシーツの中の瞬間』の物語であり、だからこそ天使をはじめ、星座にぶらさがって上から花火を見下ろすなどの、語られる超常現象はすべてaikoだけのものである。それにしても『涙を落として火を消した』という表現はたいへん詩的。しかしこの一区切りついたような一幕も、最後には『花火は消えない 涙も枯れない』となることで、結局なんどでもやり直すことになる不毛な堂々巡りエンドに着地する。ドラッグオンドラグーンかよ。しかしそう考えると天使は、あるいは『1mmだって忘れない』に代表されるような言葉は、彼女を解放してあげることもなく、やはりイジワルだ。なんらかの理由で夏の頃に花火を見ることのできない彼女、見ることのなかった花火や見れたはずの彼女が、幽体離脱をして過去も現在と未来に閃く一瞬の花火を整理のつかない心で眺めている。切ない。天才は孤独である。楽器の音色が心情を語っている。もちろん、aikoは文学者ではなくてシンガーソングライターなわけで。結局のところ、全貌は曲を聴くことでしか知り得ない。だから聴きましょう。聴いて、想像して、あれこれ好き勝手に解釈しましょう。ハッピーエンドともバッドエンドともつかない魅力がaikoの物語にはある。我々が選択することができる。優しい世界なのです。それを創るために作者は痛む。傷のなかに手を突っこんでほじくり返す。ありがとうaiko。ありがとうアーティスト。〉
明日最後を遂げるもの明日始まり築くもの
時が過ぎて花を付けたあなたの小さな心の中に
一体何を残すだろう?
“Happy Birthday to You"
しっかりと立って歩いてね よろめき掴んだ手こそが
あなたを助けてあなたが愛する人
瞳に捉えた光が眩しい日は静かにそっと目を閉じて
昔を紐解いてみればいい 確かなあの日
小さな手のひらに無限の愛を強く握って笑った
あなたがいるから大丈夫
健やかに育ったあなたの真っ白なうなじに
いつぞや誰かがキスをする
そしていつかは必ず訪れる
胸を体を頭を心をもがれるような
別れの日も来る
そんな時にもきっと愛する人がそばにいるでしょう
(瞳)
☆〈これはもうすでに人類讃歌、人生賛歌の域。結局、こういった人生観にaikoの詞は裏打ちされているから、痛くて、優しくて、揺らぎがあって、深いのだ。聴くたび泣きそうになる。というか百発百中で泣く。恋愛を人生と切り離すことを軽薄だと俺が思う理由は、ここにある。天才という言葉は今回、あえてつかいません。〉
逢わないうちに少し痩せたみたい
そのブルーの半袖いい感じね
あの子とあたしの愛の巣に帰ってきたら
いろんな事想って涙が出る
靴下もズボンも何もかもなくなってて
ベッドに微かなあの子の匂い残ってる
〰〰〰
買い物に行ったら知らないうちに
あの子に似合うシャツ探してる
ふとした時に気付く虚しさとため息
誰か早く止めてよ
(ひまわりになったら)
☆〈『半袖』『靴下』『ズボン』『シャツ』。衣服に時間と気持ちの変遷を託して物語を描く。ファッションセンス抜群のaikoがこの詞を描くとき、頭のなかに「彼」に似合いそうな服と、着ていた服と、着ていた服に合わせたらいい感じになりそうな服と、想像力が発達しすぎているがゆえに人一倍の苦しみがあるだろうなとこっちまでため息をつきたくなる。『ベッド』を含め、布類から発するかすかな特有の匂いがこっちまで漂ってきそう。『そのブルーの半袖いい感じね』というのも切なくて、前回会ってから一週間を経ての言葉か、一年を経ての言葉かによっても意味合いが全然違う。この場合はおそらく後者。悲しい笑顔が詞のむこうに透けて見える。インディーズ時代の名曲。aikoファン、aikoジャンキーはきっと大好きに違いないでしょう。ライブでこの曲を歌いながら泣いていたaikoの姿は忘れられん。〉
隣に座って声を聞いた
何が好きなの?何が嫌いなの?
今 こっちを向いて笑ったの?
あたしに向かって笑ったの?
〰〰〰
夢中になる前に解って良かった
あと5分そんな素振りをされたなら
きっと気付いただろう 怖くなってただろう
後に戻れない 刺さった想いに
あたしの背中越しに見てた
その目の行き先を 香るあの子の
甘い瞳を見ていたの?
甘い仕草を見ていたの?
これは夢か痛い今なのか 心震えてく嘘も伝って
あなたはあたしの時を止めた 帰りの道が見えない
一緒に撮った写真の中に夢見る二人は写っていたのね
後ろに立ってる観覧車に本当は乗りたかった...
(二人)
☆〈『二人』というタイトルがついたこの曲の登場人物は三人。あたしとあなたの視線は交わらずに、むしろ、あなたとあの子の『二人』で物語は展開される。『今 こっちを向いて笑ったの?あたしに向かって笑ったの?』→『あの子の甘い瞳を見ていたの?甘い仕草を見ていたの?』。『これは夢か痛い今なのか』は、【痛い夢と今】ならまだしも、【夢と痛い今】では隔たりがおおきくて、おおきいがゆえに、混同しそうにないものを混同するほどに乱れる心を表す。時を止められて、置いてけぼりをくう可哀想なあたしは、だけどそもそもあなたとはどういう関係にあるのか?お人形遊びをするあたしの姿が想像されてしまうのは、俺だけだろうか。あなたから見るあたしとの距離は、最初から最後までなにひとつ変わっていない。そして遊園地で撮った写真のなかに写っている『夢見る二人』とは、過去のあたしたちなのか、知らぬうちに水面下で繋がっていたあなたとあの子なのか。謎解きのような曲。観察眼と想像力が鋭い人はひとり妄想を膨らませて一喜一憂コロコロと気分を転がしては、傷ついたり、喜んだりするもので、多様性が尊重される見方が前へ前へと進み、その点素晴らしい時代の流れのなかにある昨今、感情のダイバーシティを知るためにも、aikoの詞はいい教材となるだろう。シングルは2008年に発売。時代精神を先取りした天才。〉
知らない間にあなたにもらった
何度も手を洗うクセ 空見上げる事
想いが動いてゆく音を駆け抜ける時の中で聞いた
(星のない世界)
〈『想いが動いてゆく音』を『駆け抜ける時の中で聞いた』。たとえば静かな町の風のない深夜、ツーリングに出かけたとしましょう。たしかに赤信号で止まっているうちは音がどこにもありません。しかしいざ走り出すと、びゅうびゅうと風の音が聞こえます。つまり、彼女が動き出したからこそ、想いは動き出したのです。はい。『あなたにもらった』という表現は、「あなたから移った」と表現するのでは、言葉のむこうに透ける表情や感情に差が生まれる。そしてもらったものがなにかと言えば、『何度も手を洗うクセ』ときた。この描写力。言葉の微妙なニュアンスをとらえて振り回す天才。〉
それは偶然で あの日雨が降ったから
君に逢った あの日雨が降ったから
青の水平線に晴れた空が 落としていったもの
鮮やかな夕日を見て
〰〰〰
赤い帽子を風が弾いてくるり宙返り
目指す空の下 色違いの指先
全部君にあげるよ さぁ目を閉じて
〰〰〰
背中の水着の跡もう一度焼き直そうか
小さな屋根の下で寄り添ったままいようか
(帽子と水着と水平線)
☆〈偶然と君に逢ったこと。これらは同じこととも取れるし、異なることとも取れる。「雨の日、君に逢った。それは偶然だった。」のか「その偶然は雨の日に起きた。そして君に逢った日も、偶然、雨が降っていた。」なのか。想像して楽しいaikoの詞のお時間です。続く歌詞ではすでに空は晴れていて、水平線に夕日が落ちる。鮮やかなそれを「見た」のではなく、『見て』なのも、二重の意味を持って楽しい。『赤い』帽子とすることで、ここを入り口に鮮やかな世界が広がる。『くるり』宙返りとすることで、世界がより鮮明に動き出す。空の青、色違いの指先のキャンディー色。それらが君に集約する。夏と浮き足立つ心の雑多なお祭り感と、それらぜんぶをあげてもいい熱視線の先の唯一無二の君との間を揺れる心情が大忙し。目を閉じてもまぶたのなかで弾けるカラフルな色彩が見えれば、そこはもうaikoの世界。背中の水着の跡を焼き直すのと、屋根の下で寄り添った「まま」でいるのと。「まま」ということは、すでにその状態にあって、寄り添いながら、脳裏に『背中の水着の跡 もう一度焼き直そうか』と考えている。寄り添っている状況が最高の状態であれば、そこを離れるなんてことはできないのではないか?水着の跡を焼くというのは、彼のために、とも解釈できなくはないが、あえて、自分のため/あるいはまだ見ぬだれかのために、ひとり浜に出ていくことを考えていると想像したい。いずれにしても、落ちる影も濃く明るい夏を曖昧さの楽園としてとらえ連れてくるaikoは天才ということで、どうでしょう。ご査収ください。〉
育ってく小さな心を見落とさないでね
少しならこぼしていいけど
スカート揺れる光の中の
あの日に決して恥じない様に
(三国駅)
☆〈俺は、女性の一人称で描かれた物語が好きである。なぜなら、女性は俺にとっては永遠の謎だし、いくら想像力を働せようとも、精神的にも器官的な意味でも、完全に女性を体験することはできないから。だから、女性であることに強い自覚のある女性が描く心の風景を見聞きすると、ハッとさせられるようなことが度々ある。『スカート揺れる光の中のあの日』とは?制服を着ていた学生時代とかで合ってるのか?この一文があるだけで、思考はひどく頼りないものとなる。「俺ごときがaikoの詞を解釈しようなんざ愚の骨頂。なんておこがましい奴なんだ……。」ぜんぶ削除したい衝動に駆られるが、表現の自由にかこつけてこのままやらせていただきましょう。しかし『こぼす』という言葉が『スカート』のまえに配置されてるのは両者の親和性に自然な流れで、やっぱり巧い。天才。こぼれるのが、心→スカート、上→下の位置関係になっているのも、スムーズに脳内描写を働かせやすい。とにかく、俺にも少女の心の純粋さみたいなものが伝わってくるわけで、一方でなにもわかっていないような気にもさせられるわけで、人の心の複雑怪奇を忘れないためにも教訓として心に留めておきたい傑作。〉
そばにいてね 年を重ね 空を見た時
きっと凄く幸せなの あなたとあたし
あぁ また…涙が出る
(向かいあわせ)
☆〈多幸感を表すときの模範解答。うますぎ。そして影に潜む仄暗い不安も、語りかけるように紡がれる言葉の節々に見える。だから涙の意味も色彩に富むし、また、隣同士ではなく、向かいあわせというタイトルが想像を掻き立てる。歳を重ねてもどうせ天才。〉
いつの間に伸びた癖のある後ろ髪
緩やかに跳ねてどこに飛んで行った?
振り返るのは僕 前を向くのは君
重なった道で何度も確かめたのに
見違える程奇麗にならないで 陽射しの強い日のまつげの影
少しかすれた声を触った 全てを包み込んだ僕の腕
(もっと)
☆〈詩的。後ろ髪を引かれる、じゃないけど、『いつの間に伸びた癖のある後ろ髪』に沿って視線を追いかけ、『緩やかに跳ねてどこに飛んで行った?』と若干言い訳がましく『振り返る』僕を想像する。すると、君は前を向いていて、それは自明の理で、そのことが苦しい。わかるわかるわかる。『かすれた声を触った』というのはいかにもaiko節。触った→包み込む、と点から面へと変化していく言葉の展開は天才。〉
細い手首に巻いた大切な赤いひも
願いが叶って切れる日を
あたし気が付くといつも祈ってた
〰〰〰
あたしはあなたじゃないから全てを同じように感じられないからこそ
隣で笑っていたいの 悲しくなった時は沢山泣いてもいいけど
ずっとそこにいないで うずくまったりしないで
一緒に見たいの 戻れない明日を
(戻れない明日)
☆〈『戻れない明日』というタイトルのしなやかさ。ここでもaikoは時間の正しさを飛び越える。『ずっとそこにいないで うずくまったりしないで』という強い叱咤は、あなたよりもあたしに向いている。『あたし気がつくといつも祈ってた』の『祈る』と『うずくまる』は対応している。aikoは書く時期によって主人公の心の状況が変わるイメージがある(一例として、前述『嘆きのキス』と、この『戻れない明日』はアルバム『BABY』に収録されている)のだが、『一緒に見たいの 戻れない明日を』で終わる詞は、仮にもし自己暗示のようなものだとしたら、あなたに追いすがろうとする必死の姿が見えて、なんだか切ない。さらに仮の話、というか最初から最後までずっと仮の話だが、もしaikoのその時その時の実体験に詞が影響されているのなら、創作にまつわるインプット・アウトプットの関係に体験が落とし込まれていることになって、やはりいい意味でしたたかというか、冷静な部分が残っているなと思う。テイラー・スウィフトもそのような「作詞の方法」を槍玉にあげられて批判されていたが、やはり恋愛ソングライターの天才は同じ道を行くのかもしれない。〉
夏の雲が作るグランドに引いた白線の様な石灰舞う瞬間
あなたの斜め後ろにいた時いつも想い描いた強く淡い明日
〰〰〰
冬の雲は作る 細く切ない生糸で編んだ薄いストールの波
〰〰〰
声は散る空に あたしを残して
桜色の花火
朱色のコート
(約束)
☆〈なんだかこういった類の詞は類推邪推解釈解説すべてが野暮だよな、と感じる。嫌になってしまうね。ひとことだけ。天才。〉
あなたとあたしは似てるから そうやってね
何でもかんでも飲み込んで
カラスの様に歌い散らかすのでしょう
辛い花も甘い花も飲み込んでは
青い歯で食べて唇からさ 笑い話にするんでしょうね
(遊園地)
☆〈『カラスの様に歌い散らかす』。歌を歌うことを否定的に見ているような、不機嫌さ。『辛い花も甘い花も飲み込んでは 青い歯で食べて唇からさ 笑い話にするんでしょうね』。飲み込む→歯→唇、は本来、唇→歯→飲み込む、と順番を辿るものであって、これらの位置の逆転が歌を創る表現者の苦悩と皮肉を表している。前述『戻れない明日』で取り上げた創作時期の問題に焦点を当てると、個人から個人への感情がむき出しになっているように思えるこの曲が収録されるアルバム『泡のような愛だった』は、全体にどことなく剣呑な感じのする作品かもしれない。アルバム収録曲『透明ドロップ』の『仕事だって嘘ついたね あの時手を繋いだよね』という歌詞なんかは、さまざまな憶測を呼んだ。まあ憶測はともかく、明確なことはひとつあって、それは、aikoは天才であるということ。〉
あの日偶然助手席に乗った
特別に感じたシートの熱 右肩がくすぐったくて
(横顔)
☆〈『横顔』というaikoの詞に頻出する言葉をタイトルに冠して書かれたこの曲のなかで、助手席の情景を引っ張ってくるのは流石のひとこと。くすぐったさに恋愛初期の距離感と右肩にかかるシートベルトの感覚をピックアップして重ねる技術。天才。aikoとドライブに行ける人生どこですか?〉
全く以ってあなたの話す全てが英語の様で解らない
あたしに何かを伝える手段をはき違えてる
右も左も今はないはっきりしないゆるいライン
横着者だとあなたはあたしを掃いてしまうの?
(ライン)
☆〈『全く以ってあなたの話す全てが英語の様で解らない あたしに何かを伝える手段をはき違えてる』。英語のようで解らない、というのがいい。これが「ベンガル語のようでわからない」だと話が違う。英語という、義務教育レベルで浸透している言語を「全く以ってわからない」のだからいいのである。つまり、わからないことの過失割合が10:0とは言い切れない感じがいい、ということ。『はっきりしないゆるいライン』は全曲をぶち抜くキーワード。横着者の意味がわからなくて調べた思い出。かっこいいす。ジーニアス。〉
あなたが宅急便で送った凍ったままの甘いハートは
今ゆっくり解凍して抱きしめているところ
(冷凍便)
☆〈『あなたが宅急便で送った凍ったままの甘いハート』を、解凍して抱きしめる。これは「解凍したものを抱きしめている」のか、「抱きしめて腕の中で解凍したものを引き続き抱きしめたまま」なのか、いずれにせよ「届いたよ!今な、ちょうど解凍し終わってん!甘くて美味しいわー!ほんまにありがとう!」とニヤニヤしながらメールを打って送信するaikoを想像して俺もニヤニヤしています。幸せをありがとうaiko。あ、宅急便が来た。だれからだろうか。ふむふむ。送り主は……天才?こいつは、嘘だろ!オーマイガー!もしかしてこれってaik)
こんなに熱くなった心「ぎゅう」っとしぼって
もっと近くに寄っていたいだけで
一か八かのゲームみたいなこの道を
寄り添って今はただ歩いてみたい
そんな気持ちよ
〰〰〰
「生まれた時からずっとあなたに抱きしめて欲しかったの」
「ずっとずっといつだって今も抱きしめて欲しい」
(ロージー)
☆〈太宰治は『斜陽』のなかで『人間は、恋と革命のために生まれてきたのだ。』と書いた。『一か八かのゲームみたいなこの道』という表現は面白くて、一か八か、成功か死か、のような切羽詰まった革命的な部分と、ゲームみたいな、という、どこか気の抜けた部分が一文のなかに同居している。aikoの世界において恋と革命とは同義である。意味わかります?俺はわかりません。とにかく『こんなに熱くなった心「ぎゅう」っとしぼって もっと近くに寄っていたいだけで』、彼女は恋路を歩きだせる。ひたむきなようで、そこはかとない捨て鉢感。複雑な道だとわかっていながら、ええいままよ!とまっすぐに一歩を歩みだすのだ。がんばれ、がんばれ!『生まれた時からずっとあなたに抱きしめて欲しかったの』は、もう極地。生まれた時からずっと、という非現実的な文句は詩となり、現実的な言葉では届かない奥まったところにある感情を見事に掻き出している。そして運命として定められているようなあなたもはじめは遠くにいたのが、『ずっとずっといつだって今も抱きしめて欲しい』と時を経て今目の前の瞬間まで迫ってくる。天才でいいですか?いいですね。〉
以上。
駆け足になってしまうな〜と思っていたものが、気づけばえらい長さになってしまった。
これでもだいぶ削ったほうですが、まあこのへんで一区切りいれておきたいと思います。
最後に。
aiko様、関係者の皆様、ファンの皆様。あれこれ好き勝手言ってすみませんでした!
だいぶ的外れなことを言っているかと思われますので、もしも当記事お見かけの際はご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願いします。
はー、楽しかった。
aiko-Live Blu-ray/DVD『My 2 Decades』trailer movie
aikoの詞についての過激な賞賛と身勝手な解釈。【前篇】
雨が降って外に出かけられない日々が続くので、もてあましたヒマを発散するために、今回は俺がこの世でもっとも敬愛するシンガーソングライター aikoの話をしたいと思います。ただしaikoの歌でも曲でもなく、今回は詞についての話をメインにします。
なので、正確には「AIKO」の話、ということになりますか。
というのもaikoは作詞作曲に名前をクレジットするときは決まって大文字で表記するため、詞について語ろうとするならば、これはaikoではなくAIKOの作詞について語ることになるので。まあそのあたりはややこしいので、以降の文章ではおなじみのaiko表記としますが。
そもそもの出会いはおよそ10年前。
高校2年生の夏に、テレビから流れてきたファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル リング・オブ・フェイトのCMに使われていた『星のない世界』に胸を打たれて、翌日に近所のCDショップに走ってアルバムを購入したのがはじまりで、以来、どっぷりハマってしまいました。
アルバイトをする。給料が入る。毎月二枚ずつ過去にさかのぼってアルバムを買う。これの繰り返しで過ぎていった高校生活の数か月。 iPodに表示される再生数ランキングがすべてaikoで埋まっていたのを思い出します。ファンクラブにも入っていました。
湘南で開催される野外ライブに出かけて熱中症でぶっ倒れたのもいまとなっては良い思い出、とまでは言いませんが(なぜならそのおかげでライブを見逃し、同行してくれていた友人への罪悪感からCDを丸々全部あげてしまったから)、まあ苦笑い話くらいにはなっています。
今年行われたライブ「aiko Live Tour Love Like Pop vol.21」にも参戦しましたが、やはり色あせない。
最高でした。本当に。
そんな、いつまでもすばらしい曲を作り続ける彼女の詞を、好き勝手に褒め殺そうというのが当記事の趣旨です。
これにあたってまず、俺が日頃からフラストレーションを感じている、aikoの楽曲についての安易安直な意見に対し、是非とも言っておきたいことを書きます。
つまるところ、この場を借りてのストレス発散じゃーい!くらえええ!オラオラオラァ!
- 恋愛の曲ばかり書いているという批判は正しく批判になりえないということ。なぜなら職人というものはしばしばひとつのものを金床で叩き続けることによって形を作り腕を磨いていくものだし、このストイックな信念によって大いなる仕事を成し遂げるものだから。
- そもそも恋愛は人類に普遍のものであるということ。これをちいさな箱にカテゴライズして人生から引き離し、あたかもジャンルもののように指摘するのはいかがなものかということ。
- aikoが描いているのは、ままごとじみた恋愛の楽しさよりもずっと、むしろ時間や肉体存在などの過ぎ去るべき定めにあるモノに対する不安や寂しさであって、彼女は勝手知らず他人に縋るピンク色の女の子なんかではなく、ある意味で冷徹な知性を備えるタフな精神を持った女性だということ。そして同時に、残酷なほどに、極めて無邪気だということ。でなければこれだけの長いキャリアを築くことなどできない。これは聖なる属性である。
- つまり、彼女は天才だということ。
- もし描かれた恋愛にまつわる物語のなかから表層的な惚れた腫れたの物語しか抽出できないのだとしたら、まずその厳しい批評の眼を自分自身の読解力や想像力に向けてみてはいかがでしょうかということ。
- 上記、そして下記すべての文章はあくまで個人的な意見だということ。
です!お目汚し失礼!
さて、スッキリしたので本筋に参ります。
以下に掲載する詞はすべて、aikoの楽曲から引用したフレーズ。タイトルのあいうえお順に上から下へ。俺のiPhoneのメモに写してあったものをそっくりそのままコピペしたものです。
太字=引用したフレーズ。()内=曲のタイトル。☆以降=俺の勝手な感想。
ピアスの裏側に隠した熱がこぼれ落ちて
指をつたい戻れないと泣いてる
(4秒)
☆〈マジかよ美しすぎる。こんなの文学じゃん。上から下の感覚はaikoの詞に顕著。覆水盆に返らずの音楽的叙情。一過性の、二度と戻れないことに対する過剰ともとれる心配や後悔。去っていく時間への切実さが滲む天才。〉
目の前に広がる今だけの世界ここはあなたとあたしの幸せの中だろう
ぼやけた向こうに見える顔
泣いてしまうなんて勿体ない泣いてしまうなんて勿体ない
今夜は眠れないかもしれないずっと離れたくないからね
夢でも闇でも一緒にいたいんだけどだめだったらどうすればいいの
見透かされてる心の果てはどんな匂いがするのだろう?
知らない場所も解ってるのでしょう
目の前に広がる今だけの世界
あなたのその瞳がまさに生きている証だろう
優しく触った頬に赤
泣いてしまうなんて勿体ない泣いてしまうなんて勿体ない
(Aka)
☆〈世界がふたりだけの幸せのなかならもっと幸福そうにしてほしい。泣いてしまうなんて、とか、眠れなかったり、とか、夢でも闇でも、とか、親の手を握りしめて心配そうな表情で顔を見上げる女の子みたいで、若干ネグレクトを感じさせたりして。積み重ねる表現が丁寧すぎて、こっちが泣きそうになる。幸せのなか→ぼやけた向かうに見える顔→泣いてしまうなんて勿体ない。涙の意味合い。笑い泣き?ドラマチック。視覚的。そしてつねに共感覚的。見透かされてる心の果て⇆匂い。天才。〉
あなたが泣いている事
今は解らないふりしてずっと話そう
水平線が見えた 優しい世界の始まり
誰も今のあなたを責めたり出来ない
(beat)
☆〈水平線が見える=夜明け。『あなたが泣いている事 今は解らないふりしてずっと話そう』って、優しすぎませんか?なだめるとか、笑かすとか、そうじゃなくて、解らないふりをするって。今は/ずっと。このふたつの時間を表す言葉もポイントになって、本当に優しい。ゆるく柔く伸びていく会話が切り口あざやかな水平線と交わる瞬間の美しさ。曲調の明るさと詞の暗さがあべこべになるのがaikoの曲の特徴。トータルで天才。〉
3つめ4つめと数えた星の涙に願う
あなたの傍にずっと居たい
まだ知らない事だらけの背中と背中を合わせて聞こえてきた音
壊れても仕方ない程に熱い
(KissHug)
☆〈aikoの好みの表現 星。流星を流星と言わないところがイキ。願う星が涙であることは、流れる傍のだれかの横顔を匂わせる。願いの対象が傍のあなたであることが意味を増幅させて、遠近感を狂わせるような巧みな表現。『まだ知らない事だらけの背中と背中を合わせて聞こえてきた音』が『壊れても仕方ない程に熱い』というのは、もうね。心臓の高鳴りがこっちまで聞こえてくる。エモすぎ。天才。〉
ねぇ 目を見て ねぇ 口見て
雪もミルクも霞む静かでスロウな
真っ白い光に一緒になりたい
(milk)
☆〈雪もミルクも霞む……の部分の口に出したくなる小気味よさは異常。そしてそれらが霞む白い光。静かでスロウな。精神と時の部屋?雪⇒ミルク⇒真っ白い光と、徐々に白の面積がおおきくなってやがて包まれるような、視覚に訴えてくる装置はさすがのaiko。冬の終わり、芽吹く天才。〉
海をハサミで切ってLove Letter 書こうかな
(Power of Love)
☆〈あなたは天才です。ところで、月が綺麗ですね。Dear aiko様。〉
あなたにしたキスがもう乾いた
フライパンの流星群
蒸発する水は綺麗
空っぽの頭に響いた
あなたを想う程に弾ける
小さなマイナスは破裂する
(You&Me both)
☆〈フライパンの流星群、蒸発する水は綺麗、破裂する小さなマイナス。常人ならざる発想。奇を衒うだけじゃなく、乾く・蒸発する・響く・弾ける・破裂する、と、か細い糸ですべてが繋がっている感じがするが、絶対意図的。イトだけに。確信犯的天才。〉
羽根いっぱいのプールで泳いでるような
めちゃくちゃな嬉しい日々
(愛は勝手)
☆〈危うい少女的な感覚を鋭く掬った見事な比喩。羽いっぱいのプール。絵としてはたしかに美しいのだけれど、実際に泳ごうと思ったら無理じゃないか?というね。宇宙を泳ぐように、美と破滅が同居している。引力バリ強、ブラックホール級の天才。〉
この街に二人きりの時間がやって来た
勝手に吹く肌寒い風があたしばかり煽るから
あなたの姿が愛しいのです
思い詰めた涙の道乾かし唄う朝の鳥
死ぬのはやめようと少し前のあたしに告げる
(朝の鳥)
☆〈『勝手に吹く肌寒い風があたしばかり煽る』という、感覚が繊細で過敏な人に特有の発想の転換と被害妄想全開の言い分。『思い詰めた涙の道乾かし唄う朝の鳥』とか、言葉のリズムが気持ちよすぎる。北原白秋顔負けの天才〉
明日が来ないなんて 思った事が無かった
いつでも初めては痛くて苦しくなるんだね
(明日の歌)
☆〈いろいろなことを想像させる『初めて』。『明日が来ないなんて 思った事が無かった』と、言われてようやくハッとさせられるような当たり前は、いつでも芸術家が見つけてくれる。いちもにもなく天才アーティストの仕事。〉
インクのなくなりそうなペンで話しながらぐるぐる書いた
何か解らない模様もあたしの今の模様だ
(あたしの向こう)
☆〈インクがなくなりそうなところが肝。話しながら書くという落ち着きのない行動が乱れた心情をそのまま表す。まさしく渦を巻く模様のあたし。巻きこまれて溺れてしまいたいくらいの天才。〉
とびきり可愛いPV。すぐコンバース買った。
間奏?というのだろうか。PVで3:27~あたりに流れるピアノの部分が最高。流れ出すと勝手に指が動く。まったく弾けないけど。
走る心に濡れた歩道 また匂いは変わる
いつもいつも
二度とは来ない今を生きてく
(あの子の夢)
☆〈『走る心に濡れた歩道』。ひたむきに闘う人の気持ちを描くためにはこれだけの言葉があれば十分という実例。もちろん口に出しても気持ちいいリズムは健在。詩と音楽の女神ミューズもびっくりの才能。つまり神話的天才。〉
暗闇が怖いなんて気付かなかった
(あられ)
☆〈前述の『明日の歌』に近い感覚。あたしには暗闇以上に盲目にさせるなにかがあった。けれども……的な。ライトが消えたあとの携帯電話の画面ともとれたり。いたずら者のaikoらしい天才。〉
何億光年向こうの星も肩に付いた小さなホコリも
すぐに見つけてあげるよこの目は少し自慢なんだ
〰〰〰
あたしは何を落としてきたの? 思い出せない記憶のクリップ
挟んだ瞬間痛かったのは言う間でもないこのハート
(アンドロメダ)
☆〈肩についたホコリと何億光年むこうの星を並列にするあたりとか。記憶のクリップに挟まれて痛むハートとか。ため息をつくばかりの天才的文才。そしてご自慢の視力も、サビでは『交差点で君が立っていてももう今は見つけられないかもしれない』とまで落ちていくのだからお見事。まさにストーリーテラー。噛みしめるように高校生のころ何度も繰り返し聴いた曲。これはまさしく俺の曲だ!とか言ってたっけ。アイタタタタ。〉
ベランダのコンクリートに黒い水玉模様
少し雨が降り始めた頭が痛い
だけど空気を入れ換えたい
窓は開けていようか
同じくあたしの心も入れ替えられないかな
(運命)
☆〈空気と同列に語られる心にまとわりつくような真綿に似た重さ軽さ。曇り空で薄暗い午後二時、夜通しの豆電球はつけっぱなし、ワンルームに敷いた布団のうえで寝返りを打ったまま動かず俯せになって三年前にユニクロで買ったTシャツがお腹のうえまでまくり上がってしまっているがそんなことちっとも頓着しない彼女の姿ともみくちゃの薄い掛布団が想起される。携帯がしつこく鳴っているがどこにあるかもわからないしそもそも取るのがめんどくさいからまあいいか。枕元に置いた時計はもうしばらく六時三十七分のままで、飲みかけのレモンティーの紙パックに挿したストローには噛み跡。みたいな。これは完全に俺の妄想。言い換えれば行間を読ませる天才。〉
時は経ち目をつむっても歩ける程よ
あたしの旅
(えりあし)
☆〈目をつむったまま歩くことの子どもっぽさ。少女趣味。いっぽうで口調は大人。この大人と子どもの二重感覚によって語り手の人物像が歪むからこそ、一緒に歳を重ねてもなお色あせないaikoの二度三度味わって楽しい詞の深みが生み出されているのかも。ひとつの文章のうえでまたたくまに経過する時間。天才の生みの親がお気に入りと称する血統書付きの天才。〉
大きな鞄にもこの胸にも収まらないんじゃない?
〰〰〰
あたし あなたと知り合うまで
何をして生きて来たんだろうか?
忘れてしまいそうな位
大好きな場所も涼しい匂いも揺らめく星屑も
紐解く様に少しずつ一緒に知りたい
ひたすらにあなたの方を向いてるこの目は永遠と
心の中で想ってる
口に出して言えないけど
(かばん)
☆〈『大きな鞄にもこの胸にも収まらないんじゃない?』。女子にしか書けない表現。可愛すぎる。オチも最高にキュート。『あたし あなたと知り合うまで何をして生きて来たんだろうか?』という混乱もキュート。紐解くように知りたい、という表現もキュート。ひたすらに、という形容詞もキュート。可憐な心を描かせたら右に出るものはいないとおもわず思ってしまうほどの天才。〉
鼻先をくすぐる春 リンと立つのは空の青い夏
袖を風が過ぎるは秋中 そう気が付けば真横を通る冬
(カブトムシ)
☆〈これまた風のように流動的に、あっという間に駆け抜ける季節の、その儚さを捉えた美しすぎる文章。いわずもがな、だれもが認めるところの名曲。そもそもがまず『カブトムシ』の時点で、彼女の比喩能力はもうデビュー間もないころから特筆すべきものだったと証明される。教科書に載せるべき天才。鴨長明とタメ線の無常観。〉
強めに縛った靴紐解いて 魔法を掛けてみる
久しぶり 両手で抱えたカバン 底にある傷の跡
「自転車を貸して」教室飛び込んであなたに言ったの
言葉は心を動かした
腐りかけそうになってしまう程 本当はただ好きなんだ
赤白青紫黄緑 声を枯らし灼けた頬
忘れない あなたが輝いてるから
(学校)
☆〈『底にある傷の跡』は物理的なものなのか、あるいは。自転車を貸して、という文句の絶妙な青さ。「腐りかけそう」になってしまう程、という比喩や、声を「枯らす」という秋めいた言葉がどことなく寂しげ。効果的にその言葉のあいだに挟まれた赤から緑の色とりどりが、ビタミンカラーというよりも和の色を帯びて、侘しさを醸す。曲調もジャズっぽい。甘みも苦みもとらえたカフェオレ模様の傑作。これぞ青春。この曲を聴きながら登校していた高校時代の日々を思い出す。プルーストに比肩する天才。〉
あ~、前奏が良すぎる~!
北風が耳を冷やしピアスが痛くなっても
あなたと目が合えば上がる毛羽だったハート
秘密ランデブー白い息 暗い空でも見える坂を
目が慣れたら探して あたしの赤い頬から唇
〰〰〰
スカートめくれても許して
駆け抜ける夜は星空のアンカー 手を離さないで
息が切れた体はもうあなたしか見えない
〰〰〰
闇は食べてしまおう 残るは少し近づいた距離だけ
(キスする前に)
☆〈『北風が耳を冷やしピアスが痛くなっても』『毛羽だったハート』といった字面から吹いてくる空気の冷たさ。『星空のアンカー』『赤い頬から唇』という縦横無尽な視線の誘導。aikoは横顔を好むらしい。闇を食べてもなお、近づいた距離は少しだけといういじらしさ、微妙なニュアンスを駆使するあたりはさすがの天才。近づいたから残る距離は少しだけ、でもなく、少し近づいた距離が残るだけ、でもなく、『残るは少し近づいた距離だけ』である。やれやれ。〉
赤焼けた走馬燈が目を閉じると踊ってる
泡の様に嘘だったと消えたりしないでね
(キスの息)
☆〈声に出して読みたい日本語。赤焼けた走馬灯が踊る?泡のように嘘だった?天才ですね。〉
きっと知らない事ばかりだとあなたの指輪に戸惑った
このままだって充分じゃない 言い聞かせる手に爪の跡
(気付かれないように)
☆〈はい、繊細の天才〜。心情描写うますぎだろ。勘弁してくれ。100回泣いた。〉
枯れずに咲いて自惚れ愛して泣き濡れ刻もう
螺旋描いて渦に潜って二人になれたら
(君の隣)
☆〈やはりこれも言葉を音楽として扱うことに卓抜した技術を感じずにはいられない。自惚れ愛して泣き濡れ刻む。鼓膜にタトゥーを入れたくなるほどの淀みなき美の調べ。孤独を知らない精神には絶対書けない歌詞。天才。〉
夜も朝も射す光はいつも同じで
確実に過ぎていった毎日
未来を夢見たあの日の僕
今日も今日も今日も 空は晴れ
(キョウモハレ)
☆〈変わらない日常のやるせなさを描くような前半から推察すれば、最後の部分は雨なり曇りなりが適切だと思わせといて、ところがどっこい。晴れている。一本取られたね。山田くん、aikoさんに天才一枚あげて。〉
羽が生えたことも深爪した事も
シルバーリングが黒くなった事
帰ってきたら話すね
その前にこの世がなくなっちゃってたら
風になってでもあなたを待ってる
そうやって悲しい日を越えてきた
(キラキラ)
☆〈これは完全に怖い話。羽が生えたことを深爪や指輪の黒くなったこととおなじように語っちゃうあたりヤバい。この世がなくなっちゃうとか、風になってでもとか、冷静に考えると狂気の沙汰。でも1番怖いのは、この怨霊じみた情念をポップな曲調に乗せてヒット曲にしちゃうaiko。ガルシア=マルケスの描くマジックリアリズムと比べても恥ずかしくないレベルの天才。〉
aiko-『キラキラ』(from Live Blu-ray/DVD『ROCKとALOHA』)
誰にも理解してもらえなくてもいい
あなたが笑えば何故かそれでいい
明日何が起こっても今目の前であった事が本当なら
明日も笑って迎えられる
〰〰〰
鼓動の奥へ連れてってそして確かめて欲しい
そばにいる事を触って解って欲しい
焼き付けた後に目尻で優しく話しかけて
あなたのいない世界にはあたしもいない
(くちびる)
☆〈『あなたのいない世界にはあたしもいない』曲中で何度も繰り返されるこの、ものすごくシンプルでストレートな言葉をaikoが歌にするとき、恋愛はあるべき形へと回帰する。つまり哲学になる。『焼き付けた後に目尻で優しく話しかけて』のフレーズは美の結晶。こんな表現思いつくとかマジ土下座。『誰にも理解してもらえなくてもいい あなたが笑えば何故かそれでいい』というのも、どストレートで胸にささる。というかエグれる。承認欲求に支配されがちな俺のような人間は、なかなかこうは言い切れない。そう思うし、実際言ってみたりもするのだけれど、やはりどこかで疑惑が入りこむ余地を残してしまう。aikoのこの、目の前のだれかに耳元で語りかける言葉を持つことはカリスマの要素であって、偉大な芸術家の要素でもある。『明日何が起こっても今目の前であった事が本当なら 明日も笑って迎えられる』。aikoは時間のもたらすものにあまりにも誠実すぎるがために、迷子になったら、ときとして縛られてしまったり、要望が通らずに膨れ面でその場に立ち止まったまま恨めしく母をじっと睨みつける子どものようないじらしさがある。一方で、常に前を向いて、振り返らずに人生猪突猛進の考えを持った人もいる。紆余曲折を経てその強さにたどり着いた人は本当に素敵だし、深みのあるおおらかな人格者が多い、と思う。でも、俺はaikoの詞に肩入れする。彼女は、きっぱりと断捨離することができないまま過去を引きずって生きる心の鎮痛剤。先生。ウジウジ、とか、無意味、とか、そういった言葉で個人的な葛藤を吹き飛ばしてしまおうとする軽はずみな悪意にあてられてくたびれきった心に潤いをもたらす希望。もはや宗教じみてきた。aikoは一対一で、目の前で、向かいあわせで、歌いかけてくる歌手である。この詞はもちろん差し向かいタイマンの恋愛としてもとらえられるが、角度をすこし変えると、ファンのことを想って書かれたような歌詞にも見える。前アルバムから2年以上の時間を経て発売されたアルバム『時のシルエット』の曲で、プロモーションのために方々で歌われた曲ということもあって、「あなた」に対する我々aikoジャンキーの空想は捗る。甲乙つけがたいラインナップのなかでも、おそらく個人的にはaikoのベストソングのひとつかなと位置づけている曲。メロディーにも震えた。シンガーソングライターの白眉。あなたのいない世界には天才はいない。〉
aiko-『くちびる』music video short version
音が気持ちいい~!踊ってしまいますよねえ!
笑顔の空 あなたの様にあたしも大丈夫になりたい
リンゴの赤 水風船が割れた
こぼれ落ちた水にまぎれ泣いた
(雲は白リンゴは赤)
☆〈楽曲内では金管楽器の奏でる天に伸びるような曲調の明るさにまぎれているが、文字だけにすると切ない一節。太陽を受けて輝く水しぶきがスローモーションで目の先に浮かぶよう。まずタイトルからしてすでに天才。「いつでも雲は白くてリンゴは赤で。君は相変わらず大丈夫なままで。なのに、あたしの心だけはめちゃくちゃで。」とでも言いたげな感じ。これを説明じゃなくアクションで表現するのがaikoの詞。もう映画でも撮ったら?〉
日焼け止めを綺麗に洗いきれずに
夜中に腕が夏の匂い
〰〰〰
あなたを一番近くで見つめた瞬間
唇はカメラの様にまばたきをした
〰〰〰
はじかれまい日射しにもあなたにも
桃色の汗は夏の匂い
〰〰〰
あたしの体の真ん中自分じゃないみたい
☆〈完全にアダルト。官能。ここからエロスを読み取れない人はまずいないだろう。髭ダンのボーカルも影響を受けたと語っていた、ような気がする曲。どう考えても歌詞がよすぎる。唇とカメラの親和性に気付かされました。あっぱれ。日焼け止めを落としきれなかった腕を夏の匂いと言ってみたり、日射しを弾くのではなくて弾かれまいと言うことによって、夏の日射しとあなたに真っ向勝負を挑む活発な人物像が現れたり。あ~。もはや夏の季語にaikoを登録したいレベルの天才。〉
aiko-『恋のスーパーボール(Bossa ver.)』(from 『夢見る隙間』LIVE会場限定盤『噛めないけどね!CD』)
ボサノヴァバージョンも素敵!
今降るこの雨 遠くは晴れている
だからすぐに逢えるね
止めば乾いてそして星が降るから お願い
(恋をしたのは)
☆〈これも本来長い時間を要する変化を見事に素早く描いている。遠くは晴れている、だからすぐに逢えるね。可憐だけど、やはりどことなく狂気を感じるのがaikoの素晴らしいところ。狂気と恋愛をまるきり別口に考えるようなペラペラの感性なら、彼女の言うことを理解できないのもやむなしか。俺はわかってる。あなたは天才です。〉
どうしてだ?重くも軽くもない世界
たった一度だけ違った顔を見て以来
ここは無重力で誰に笑いかけてるの?
(今度までには)
☆〈軽くも重くもなく、無重力。ふーん。どういうこと?お手上げですわ。俺のような紙きれリテラシーの凡人にはぜんぜんわかりません。やはりあなたは天才aiko。〉
後篇に続く。
ゲームの話。
台風が直撃し、風雨にさらされ、翌日は台風一過の快晴空模様、そしてまた本日、雨。
しかし目まぐるしく変化する天候も俺にはすべて窓の外の出来事。
雨にも負けず、風にも負けず。
どうも、こちら無職です。
(台風から一夜明けた午後の相模川)
秋雨も降り、最強とまでうたわれた衝撃の台風はもう過去となり。突然気温がぐっと下がって、一気に涼しくなってきた今日この頃ですね。というかもう寒いくらいで。
急激な気候の変化についていけず、なかなか外に出るのも億劫なときってありませんか?ありますよね?ありますね?
あるということにして、さてそんなとき、みなさんはどんなふうにお過ごしなのでしょうか?
ふむふむ。あー、はいはい!
なるほどそうですよね!やっぱりゲームですよね!はいはいはい!わかります!たいへんよくわかりました!
初秋の夜長にはゲーム!ゲームでしょう、やっぱ!
かの有名なプロレスラーも「ゲームが一番!ゲームがあればなんでもできる!」と、おもわずグランドセフトオートの広告かと疑わんばりの文句を言ったとか言わないとか……。
なんて、くだらないことはいいんです。冒頭からすべり倒してごめんなさい。
とにかく、なにを隠そう!
わたくし最近、ゲームにハマっておりましてですね。
その話がしたくてこの話題を力づくで引き寄せたのでした。はやくも旅系記事の更新に息切れしてきたというのもありますが。
もともと子どものころからゲームは大好きで、勉強を疎かに、というかほとんど投げ捨てんばかりにして、ゲームキューブの『ファンタシースターオンライン エピソード1&2』やPSPの『モンスターハンターポータブル』に熱中したものですが、大人になるとやっぱり電源スイッチまでの距離が遠く感じてしまうというか、いざ遊んでみても集中できずに魔がさすというか邪念が流れこんでくるというか、そもそも時間がなかったりして段々とコントローラーを手にする機会も少なくなるというか、とりわけネット環境の充実により友だちの家に集まってワイワイといったミレニアル世代に馴染みの深い遊び方からはどうしても離れてしまいがちなものかと思われます。
メインストリームを大きく逸脱して時間のありあまる俺ならともかく、真っ当にお勤めをされてる方ならなかなか膝つき合わせてゲームといったこともしにくくなっているのではないでしょうか?
そうでしょうそうでしょう。
でも、どうですか?
友だちのお母さんが持ってきてくれる菓子盆にチョコパイがあるかカントリーマアムがあるかで一喜一憂しながら画面にのめり込んでいたあのころ……なつかしくはないでしょうか?
エ、エモいぜぇ……!
また昔みたいに友だちと肩を並べてキャッキャしたいな……、肌寒くなってきた夜に恋人とイチャつきながらゲームでも……、なーんてお考えのあなた!!!
そんなあなたに!!!おすすめのゲームがございます!!!
それが、こちら!!!
PS4 ディヴィニティ:オリジナル・シン エンハンスド・エディション ローンチトレーラー
ディヴィニティ!!!
エクスクラメーションマーク多めで進行しておりますがご容赦ください!これは俺のおすすめ度を表しています!星3つならぬ、エクスクラメーションマーク3つです!!!
でも、私には、友だちも恋人もいないし……。
そんなとき!
「うちネコ飼ってるんだよね。……見にくる?ゲヘヘヘヘ」みたいな感じでこのソフトを餌に意中の女子を誘いこんだり、しばらく疎遠になっている友だちとまた縁を結ぶきっかけを得るにもうってつけのゲームでございます!
※ただし気味悪がられても責任は一切とりませんので、ご留意願います。
ターン制のロールプレイングなのですが、この手のものにはめずらしくオフライン画面分割ができますし、ゲーム自体が高難易度に設定されているので、ああでもないこうでもないと知恵を絞りながらでないと攻略が難しく、どうにかしてやっとこさ敵を倒したときの達成感たるや……これが素直に嬉しい!
初回の記事でもシティーズ:スカイラインの動画リンクを貼りましたし、あたかもスパイク・チュンソフトの回し者のようですが、もちろんそんなことはございません!そもそも俺には宣伝効果が皆無!
ただ単純に紹介したくなるほど面白いのです!
【PS4】ディヴィニティ:オリジナル・シン 2 ディフィニティブエディション【早期購入特典】 『序盤攻略ガイドブック』(仮)(外付け) 【CEROレーティング「Z」】
- 出版社/メーカー: スパイク・チュンソフト
- 発売日: 2019/10/31
- メディア: Video Game
- この商品を含むブログを見る
今月末には新作が発売されますよ!
非常にたのしみです!
ゲーム機の電源を入れて、コタツに入って、ストゼロの蓋をあけて、うら寂しい季節の夜をがんばって乗り越えていきましょうじゃありませんか。
我、ここにスローライフ宣言を発表します。
今日は昼夜を徹して、やり残していたレッド・デッド・リデンプション2を攻略したいと思います。
荒野を駆け回り、悪事の限りを働いてやるぞ〜。
ゲームのなかならなんでもできる!そして人生とは、すなわちゲームなり!
※FBIのみなさま。これは単なるジャパニーズジョークです。その点ご考慮ください。
善良なる市民、なかのでした。
話題の映画『ジョーカー』を観る。
連日の外出。
朝に目覚めて、窓を開けて、日の光を浴びて、小鳥を手の甲に乗せて、夢を歌って、するとネズミたちが寝ぼけ眼をこすりながら起きてきて、身支度をちいさな動物たちが手伝ってくれて、俺は足取り軽く心地よい空気のなかを出かけていくわけで。
はい。
午前。友人と待ち合わせ、これまた昨日に引き続き海老名へと向かいました。
目的は、映画を観ること。
貧乏人のくせに生意気な!映画を観るヒマがあるなら働け!というご意見ご鞭撻は一切聞きません!!!スーパー無視します!!!
というわけで、今回観てきた映画はこちら。
ワーナー・ブラザース公式サイトより
『ジョーカー』です!
あらかじめ言っておきますが、物語の本筋についての評論をするつもりはありませんし、ネタバレもしません。
とにかく言いたいことは、映像、脚本、音楽、演技、そのすべてに携わった映画スタッフ全員に敬意を表したいということです。
とくにホアキン・フェニックスの演技は圧巻でしたね……。彼が主演しているスパイク・ジョーンズ監督の映画『her/世界でひとつの彼女』は俺の大好きな映画のひとつですが、ここでホアキンの演技を見て、おどろかされたのを覚えています。
静止画一枚からでも漂ってくる卓抜した演技力。
表情ひとつで見せる俳優の仕事、最高にカッコいいですねえ。シビれます。
この物憂げな表情。
これ、型で抜いたように類似した構図で映し出される終盤のシーンがあるのですが、そこではまるきり、ことごとく彼の見ている世界が変化しているんですよね。
いま画像を見て気づいたけど、この画面にある緑色と、終盤のその似通った構図で使われる赤色との対称性は、彼の心身のあらやる変化を象徴しているのかもしれませんね。
緑と赤といえば、走る列車の先で変化する信号のカットが挿入されたり、そもそもが彼のメイクした顔に出ている強い色調だったりして、映画技法的に表現されるその極端に離れた色のあいだを反復する自我、反復するセリフや外界の音、作家のチェーホフが言うように「物語のなかに拳銃が出てきたならば、それはかならず発砲されなければならない」ならば、創造されたフィクションとして狙われた悪はどれか、などなど。
日常の顔に貼りつけた仮面をもってしてピエロを演じる群衆と、ピエロの仮面を脱ぎ捨てたそのしたからもピエロの顔が出てくるジョーカーとの対比は、メタ的に、思想のない苦しみしか持てないがゆえに扇動されやすい人の心を揶揄しているようで、愉快半分、不愉快半分だったり。
あることないこと勝手に想像してひとりで盛り上がれるのは映画のいいところですよねえ。そしていい映画というのは、あることないこと好き勝手に語りたくなるものだと思います。
よって、売れるものがいいとは限らなくとも、メディアでの取り上げかたを見るだけで、この映画の出来栄えについては星がいくつとか、あえて言わずもがなということなのかもしれません。
手放しで絶賛するにも勇気のいる作品かもしれませんが、まあそこは問うに落ちず語るに落ちるという言葉に委ねましょう。
二十代の前半、テンションに流されるまま「年間に100本は映画を観よう」と決めて、現在にいたるまでおそらく成功した試しがないのですが、どうしてもこういった素晴らしい映画を観ると「やっぱり映画は見なきゃダメ絶対〜!」と鼻息荒くなってしまう。
そもそもが俺は一時のテンションに身を任せすぎてしまうきらいがあるので、いよいよ改めないといけないお年頃なのかもしれませんが。
しかし、この映画「全体」で描かれる狂気、やるせなさ、苛立ち、しつこく付き纏う黒い霧のような閉塞感は、ある種の決してすくなくない数の人間にとっては普遍的で、かつ抑圧されているものでしょうし、実際にアメリカでは公開館が限定されていたりするように、慎重にならざるをえない要素があるのは仕方がないことなのかもしれません。
日本でも表現の自由に関する問題が取り沙汰されていたりしますが(これについてはハッキリとした意見が個人的にはありますが)、ことほど左様に芸術というものは、どうにも善悪の明確な境界線を引くのがむずかしいもののようですね。
だからこそ、曖昧さのなかで爆発することによって想像力に連鎖し、人知に半無限の広がりと奥行きを与える芸術性こそが芸術たらしめるのでしょうし、いわば曖昧さを描けていること、揺らぎがあること、戸惑わせること、現実感覚を麻痺させることこそが芸術の価値だと俺は思います。
まあジョーカーについて言えば、端的に、つまりジョーカーというキャラクターがそれだけのカリスマを持っているということなのかもしれませんが。
カリスマについても考えさせられましたが、この作品を観て俺が解釈したカリスマの条件を挙げるなら《自分自身の存在を強烈に自覚していること》《たったひとりの大衆に自分自身の存在を語りかけることができること》でしょうか。
カリスマ美容師、カリスマホスト、カリスマ政治家……世に数多いるカリスマのなかでも真のカリスマと称されることが多いという、カリスマオブカリスマ、カリスマ無職を目指す俺としてはおおいに勉強になるところでした。
注:これは映画による悪影響ではありません。長い年月を経て養われた素質に依拠するものであります。わたくし持ち前の責任転嫁技術が遺憾なく発揮された戯言としてお切り捨てください。
では!
今回の映画を観て抱いた感想を一言でまとめます!
「だれもなにもわかりはしないのだから、すくなくともだれもなにもわからないということをわかれたらいいよね!」
ま、いわゆる無知の知というやつです。
……。
あらゐけいいち著 『日常』より
以上です。
やや真面目な記事になってしまいましたが、今後はしっかりと無意味でくだらない内容のものを書いていきたいと思いますので、どうぞよしなに。
なかのでした。